2020-03-25 第201回国会 衆議院 文部科学委員会 第6号
その際申し上げたとおり、我が国の初代文部大臣は我が郷土鹿児島の大先輩である森有礼でありますので、だからというわけじゃありませんが、こうして立たせていただいたこと、大変感謝しております。 そうした中でお伺いをしたいと思います。
その際申し上げたとおり、我が国の初代文部大臣は我が郷土鹿児島の大先輩である森有礼でありますので、だからというわけじゃありませんが、こうして立たせていただいたこと、大変感謝しております。 そうした中でお伺いをしたいと思います。
(拍手) 今回の表彰は、先輩、同僚の皆様方の御指導、御鞭撻の賜物であると同時に、二十八歳で郷土鹿児島の県議会議員に当選して以来、四十五年余にわたり御支援いただいた鹿児島県の皆様や、すべての友人、知人の皆様のおかげであり、心より感謝を申し上げるものであります。(拍手) 私どもが衆議院に初めて議席をいただいたのは、昭和五十四年十月七日の総選挙においてでありました。
今日、この栄誉に浴することができたのは、ひとえに郷土鹿児島の皆さんの永年にわたる御支援と先輩、同僚議員各位の御指導の賜物であり、ここに改めて厚くお礼申し上げます。 私が初当選できましたのは、昭和三十五年の秋、右翼の凶刃に倒れた社会党委員長浅沼稲次郎氏の屍をのりこえての斗いでありました。
又、この間郷土におきましては、国鉄国分−古江線新設完工、九州縦貫自動車道霧島山西廻り路線の決定、大型空港の新設、離島長島と本土を結ぶ黒之瀬戸大橋の建設などの大事業が遂行出来ましたのは、郷土鹿児島県の皆様の永きに亘る御支援と御厚情のお蔭でございまして、心から厚く御礼申し上げます。